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2014年05月25日

Farewell to The Seashore / Naoya Matsuoka

Farewell to The Seashore / Naoya Matsuoka

Farewell to The Seashore / Naoya Matsuoka

松岡直也の『午後の水平線』
このアルバムで思い出す事を少し・・

えー、今から30年ほど前、ワタシが社会人となり最初に就職したのは大阪のIT企業でした。
当時プログラマーになりたくて仕方がなかったワタシは、社内教育完備で未経験でもOKという募集内容に惹かれて応募したのです。
今にして思えばその会社はIT企業とはいえ、かなりの低レベルな事をやっているカス企業だったんですが(笑)全くのドシロートだった当時のワタシにはその辺の区別がまったくつかず、まんまと入社試験を受けて入社してしまったのでした。
入社後には教育・・というか新人研修があり、当時事務系システム開発ではメジャーだった開発言語COBOLの講習を一ヶ月受けた後にイキナリ辞令が下りました。
神奈川件厚木市の計算センターに転勤せよとの辞令です。
入社の条件として転勤があるとは全く聞いてなかったので少なからず驚きましたが、まぁ社会人になったらこんな事もあるんだろうと自分に言い聞かせ、辞令の通りに少ない荷物とともに厚木市の社員寮に引っ越したのです。
そこで新生活をスタートしたワケですが、その社員寮というのが部屋こそ個室があるものの、プレハブの平屋で風呂共同トイレ共同エアコン無し家具なしという、なんというかタコ部屋?のような寮でした。

職場はその社員寮から自転車で15分ほどの距離にあり、職種は俗にいうオペレータ。
体育館いっぱいくらいのスペースにギッシリ詰まっている洗濯機のようなディスク装置、自動販売機のような磁気テープ装置、汎用紙をエライ勢いで常に吐き出しているドットインパクトプリンター。
その中に入って磁気テープを取り替えたり、用紙を付け替えたり、ジョブをセンターコンソールから打ち込んだりの単純作業です。
夜勤ありの三交代制で、シフトは9:00-18:00、17:00-02:00、01:00-10:00の3つ。
その3つの時間帯を一週間ごとに交代するという、北朝鮮の強制労働を思わせるような労働環境でした。
ボロい社員寮のくせに、家賃はその辺の綺麗なマンション並みの金額を引かれ、給料日には10万円ちょっとのお金をやっと手にするという有り様で、入社時に約束したプログラマーになるための勉強する機会も全くありません。

その職場には3つほどの会社からオペレータが派遣されていました。
総勢30人ほどだったでしょうか、その中の10人ほどはワタシと同じ会社の人間で、今回送り込まれた同期5人以外には同じ会社の先輩が5人ほどいたのです。
その人達に話を聞くと、みんな同じようにSE・PGを目指して入社したのだけど、オペレータで一年我慢した後に本社に戻って本格的な教育を受ける、というワタシと全く同じ約束を会社としていた事が判明。
最古参のヒトは清家さんというおっさんでしたが、その人はもう8年もここにいると言っていました(笑)
その気弱そうな先輩は、8年前にワタシと同じ事を言われてここに送り込まれたのです。
先輩達に色々話を聞くウチに、会社のやり方が何となく見えてきました。
どうもワタシの入社した会社は、約束通り1年で本社に戻すという意思は全くない模様です。
口約束は平気で反故にしてとにかくヒトを送り込み、辞めたら辞めたでまた新しい人間を大阪で採用して騙して送り込む。
今回ワタシたちがここに来たのも、ごっそりと辞めた社員の穴埋めをするためらしく、こんな事をずっと続けているみたいです。
話を色々聞くうちにやっと「ちくしょぉぉぉ、騙された!」と気づくワケですが、もう後の祭り、ワタシは会社を辞めようにも、辞められませんでした。
社員寮に住んでいる限りは、会社を辞めれば社員寮も出て行かざるを得ないわけで、当時どうしても親兄弟を頼る訳にはいかない事情があったワタシには、会社を辞めると住む所がなくなってしまいます。
だから、この会社を辞めるには、まずどこかに住居を借りねばならないワケです。
しかし、住居を借りるための敷金礼金が、この会社にいてあの額の給料を貰っている限りは絶対に貯まらない・・・
デッドロック状態というか八方ふさがり状態というか・・途方に暮れましたね。

入社して半年が過ぎた頃から、ワタシは同期のヤツと会社脱出の相談をするようになりました。
そいつは大谷君と言って、ワタシと似たような志で会社に入ったヤツで家庭事情も同じような境遇。
辞めたくても辞められないという事情も全く同じです。
O君と色々話をするうちに、

「このままこの会社でいたら先輩達と同じく飼い殺し状態で腐ってしまう」
「ボーナスが出たらそれでアパート借りてこの会社を辞めよう」
「でも、アパート借りるのと同時期に次の会社も決めとかないとダメだよね・・・」

こんな話を上司に知られないようにしていたのでした。
そして、待ちに待った冬のボーナスが支給されたのですが、明細を受け取ると、ワタシとO君は目を疑いました。
入社一年目のボーナスだから夏には寸志だけど、冬には満額出るという話だったんですが、その満額であるはずの支給額は15万円くらいでした(笑)

え?この会社のボーナスってこれで満額?
これから先のボーナスもずっとこんな額って事???

いやぁ、ビックリしましたねぇ。
この額ではアパートの敷金礼金にもなりません。
でも、こんな額だからこそ、この会社は絶対辞めなきゃならない、と決意を新たにしたのでした。
大谷君と相談した結果、2人のボーナスを足し合わせて、最初はどこかにボロアパートを借りて一緒に住もう。とにかくこの会社から逃げよう。
この会社を脱出する事が何より先決だ、早く辞めなきゃ大変な事になるという事で意見が一致し、休日になると2人とも会社に面接に行きつつ家探しをするという生活が始まりました。

取り敢えず、まずは住居です。
住んでいた社員寮は会社を辞めると1週間以内に退去しなければならないという鬼規定になっていたので、まずは住む所を確保しないと辞表も出せません。
当時の関東地方都市の最下層レベルのアパートの家賃は郊外のボロアパートで6万円程度だったでしょうか。
敷金・礼金はどっちも3ヶ月分というのが平均だったと思います。
ということは、敷金・礼金だけで入居する際に合計36万円必要で、これでは2人のボーナスを足しても全く届きません。
不動産屋のヒトに「もっと安い所はないですか?、どんなボロでもいいんです」と言い続けて数カ所回り、バカにされつつ断られ続けた挙げ句、
ついにやっとある不動産屋で激安オンボロアパートを紹介して貰ったのでした。
家賃は3万3千円、敷金・礼金は3ヶ月+1ヶ月の合計4ヶ月分。
これならどうにかなりそうです。
現地に見に行くと、そのアパートは町田市の外れにあり、木造二階建てで築30年くらいのオンボロ物件でした。
間取りは2K。
玄関を入るとすぐ右側に2畳程度のキッチンがあり、奥に入ると6畳の和室、さらにその奥には4.5畳の和室という間取りになっていました。
風呂は小さなバスタブがあり床は古めかしいタイル張り。シャワーなんてモノはもちろんなし。
トイレは和式のしゃがむタイプでした。
いやー、ボロボロのアパートだったけど、この時はやっと脱出の糸口を見つけたようでとにかく嬉しかったですね。

次は会社です。
ワタシは次の会社の条件として、『場所は東京』 『ソフトウェア開発だけをやっている会社』 『未経験可』 という3つの条件に絞って試験を受けました。
就職情報誌に載っている会社から条件の良さそうなのを5社くらいピックアップして受けに行ったのですが、最初に受けた一番良さそうだった千代田区の会社に合格。
面接時に話した社長もいい人っぽかったので、この会社にお世話になる事にしました。
社長に事情を話すと、入社は今の会社に辞表を出して準備ができてからでいいとの事で、つくづくありがたかったです。
その一ヶ月後くらいにはO君が渋谷の会社に合格しました。

住む所も決まり、次の会社も決まっていよいよ辞表を出す段になりました。
直属の上司(例の8年飼い殺しにされているヒト(笑))に二人して辞表を出すと、もっと我慢しろだの約束通り一年は続けろだの色々言われましたが、騙されて飼い殺しの憂き目にあいながら羊のように従順に働いているヒトにそんな事を言われても説得力ゼロで聞く気にもなれません(笑)
結局、慰留をまるっきり無視し、入社10ヶ月目で人生初の辞表を大谷君と提出しました。

それから少ない荷物をアパートに運び入れ、男2人の共同生活が始まります。
ワタシが入社した会社は千代田区九段下にあったので町田市のハズレから通勤するには結構遠かったですが、ここは今考えてもいい会社でした。
プログラマーとしての教育は専門のカリキュラムがあるわけではなくほとんど全てがOJTでしたが、仕事が面白くて寝る間も惜しんで勉強していたもんです。
通勤の間もずっと技術書を読んでいました。
給料も2倍程度に増え、最初の給料で洗濯機を、次の給料では冷蔵庫を買いました。
じわじわと底辺生活から抜けだしているという実感が感じられて、地味ーに嬉しかったですね。


その頃、買ったのがこのアルバムでした。
ジメジメしたオンボロアパートで響く松岡直也のラテン系ピアノには随分と元気をもらったもんです。
独特なタッチで鍵盤をタンタンと叩くスタイルで、トンカチピアノとも称されてました。
その松岡直也ですが、つい一ヶ月程前、2014/4/29に亡くなっていたんです。
全く知りませんでした・・
享年76歳、前立腺がんが進行しての多臓器不全だったそうです。

合掌


ジャンル:ラテン・フュージョン

1983年 リリース当時のLPレコードのレーベルは失念
(2002年にCDがANTレーベルからリリースされてます)




【何系?】

朝系--------夜系
 ☆☆★☆☆☆☆☆☆☆
サワヤカ系-----エロ系
 ☆☆☆★☆☆☆☆☆☆
アップ系-----ダウン系
 ☆☆☆☆★☆☆☆☆☆
アッサリ系----コッテリ系
 ☆☆☆★☆☆☆☆☆☆


【私的評価】

万人にオススメ度
 ★★★★☆
カッコイイ度
 ★★★★☆
飽きない度
 ★★★★★
ソウルを感じる度
 ★★★★☆
ハズレ曲が無い度
 ★★★★☆
個人的思い入れ度
 ★★★★★


1.Sunspot Dance
2.A Farewell To The Seashore
3.Maple Wind
4.Oblivion In The Sand
5.Evening Calm
6.Free Voyage
7.Monologue
8.The Last Summer Day

#1 sunspot danceのみオリジナルスタジオ録音が見つかりませんでした。


オリジナルアルバム一枚分の動画
NAOYA MATSUOKA - A Farewell to the Seashore



追記 某月某日
最初に入った大阪の会社(◯◯情報センター)ですが、最近調べてみたらかなり前に消滅していました。
人数だけはそこそこいた中堅規模の企業だったハズですが、あんな事やってたらそりゃー潰れるわな(笑)




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この記事へのコメント
司馬遼太郎並みの長編、お疲れ様でした。
人生には転機が3度あるらしいのですが、ちゃんと掴まれたようですね。
私には、あったんかな?それとも今からか?(爆)
76歳、そこ位までは生きたいなあ。(笑)
Posted by 酒ちゃん酒ちゃん at 2014年05月25日 18:38
人生の思い出は、何かしら自分が好きだった音楽がまとわりついてると思うのは、私達だけなのか?皆なのか?
音楽を聴けば、この頃はこういう事してたよな!とか、こんな失敗もしたよな!とか、子供の成長を振り返ったりとか。
音楽って、ほんとにすてきなものですね。
Posted by 八ちゃん at 2014年05月25日 21:22
こんばんわ

私も横浜の会社にいた頃は、色々と考えることがありましたよ
とは言ってもあっち関係が殆どでしたが(爆)
Posted by 釣りキチみつ釣りキチみつ at 2014年05月25日 21:28
ROYさん版、“俺達の旅”。
同世代だからかな、時代の臭いを共有しながら読ませていただきました。
Posted by ゲル at 2014年05月26日 09:52
Royさんの若かりし話読みましたよ。
通勤の間もずっと技術書・・・
人間ってやりがいとか頑張れると思ったら
貪るように勉強できるものなんですね。

松岡直也、もちろん聞いてました・・・
亡くなったニュースのあった日
ハートカクテルのCD出して聞きました。
Posted by ポッキーパパ at 2014年05月26日 09:57
酒ちゃん

いやー、師匠はいい会社に入って順風満帆の人生じゃないっすか~
ワタシのように若い頃に躓いてないので羨ましいですよ。
これから先も妙な転機はない方がいいとおもいます。
体に気をつけて、80歳くらいになって「おじいちゃん危ないからやめときなよ~」
と言われつつ海に出る頑固ジジイを目指してください。
Posted by ROYROY at 2014年05月26日 13:31
八ちゃん

淀川長治のようなコメントありがとうございました。
昔の情景とシンクロしている曲ってありますよね~
今考えてみると、ワタシの場合はboz scaggsのslow dancerとか
wingsのsilly love songとかがちょっとキツい思い出に繋がっとります。
いい思い出と繋がってる曲は・・・あまり思い出せないっす(汗)
Posted by ROYROY at 2014年05月26日 13:33
釣りキチみつさん

そうですか、アッチ方面で悩みましたか。
ワタシも同じです~(笑)
二個目の会社で年上の彼女ができたんですが、
これがまた自由人というか奔放というか・・色々と苦労しました。
Posted by ROYROY at 2014年05月26日 13:35
ゲルさん

たぶんワタシの若い頃の生活環境はゲルさんとは対極にあると思うんですが、
少しは共通したニオイを嗅いでいたんでしょうね。
いやぁ、あの頃の生活はホームレス一歩手前くらいで
果てしなく貧乏でした(笑)
Posted by ROYROY at 2014年05月26日 13:45
ポッキーパパさん

ニュースで訃報があったんですか。
ワタシはTVを殆ど見ないのでちっとも知らなかったっす。
亡くなっていたのを知ったのは先週の水曜日で、
親戚のおじさんが亡くなったくらいのショックを受けましたね。
この歳になると、昔聴いてたミュージシャンの訃報を聞く事が多くなって、
オッサンになったのを痛感します(汗)
Posted by ROYROY at 2014年05月26日 13:48
師匠の青春ですねえ。学生時代に相模原の友達に会いに行ったことがあります。厚木基地の近くでした。30年前の私は、まだ初々しかった妻と、3歳と1歳の娘と離れて初めての単身赴任生活でした。30年後の今も同じところで単身生活です。時々、「こんな生活がいつまで続くのか」不安になり眠れない夜があります。
松岡直也の『午後の水平線』拝聴しました。爽やかでいいですね。私はこの頃は仕事とパチンコで音楽空白時代です。
Posted by やっちゃん at 2014年05月27日 00:23
やっちゃん

初めての単身赴任先があの場所だったんすか。
よほどあっちに縁があるんですね~

でもやっちゃんの場合はワタシみたいに「稼げなくなって生活できなくなるかも・・」
という
不安がない分ずっとマシですよ。
ワタシは1年後の収入が全く読めないし、10年後となるとマジ不安です。
今の仕事はずっと続けられる仕事じゃないし、リタイヤ後も年金がないに等しいので
10年後はマジでホームレスになってるかもしれません(笑)
Posted by ROYROY at 2014年05月27日 13:10
 
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